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2007年1月 4日 (木)

入試に出なくても、ちゃんと学んで欲しい

昨日のblog記事で、東京農工大の「情報」入試のことについて触れましたが、そこで思い出したことがありました。2006年12月27日配信の毎日新聞webの記事に、茨城県の高等学校校長の61・4%が、「情報」が必修であることを「適切でない」としているという御意見だそうです。この記事の内容については、情報科作業日誌でも取り上げられていますが、僕も全く同意見です。

……で終ってしまうとオリジナリティもないので、大学の教員の立場で追加の意見を書いてみたいと思います。茨城県高等学校校長会の先生方は、どんな条件があれば「『情報』が必修であることは適切だ」と結論して頂けるのでしょうか?仮に、勝手に想像して「『情報』がセンター入試に必受験になれば、『情報』必修化は当然」なのでしょうかね?

大学入試センターは、平成18年度入試での「情報」の採用を見送りましたが、それについて「校長会からの強い反対があった」という話を聞いたことがあります。本当に反対があったのかどうかは知りませんが、茨城の校長先生の御意見を前にして、「校長会からの反対があった」という仮説を棄却するには、他の理由を援用する必要がありそうです。

「入試にでないからやらない」「入試に出るならやるべき」という、ある意味わかりやすい対応以外はあり得ないということであれば、生徒達の将来を本当に心配する大人は「センターで『情報』入試を出そう」という方向に加速をつけると思います。

実は、センターで「情報」を実施するのは簡単です。現在「情報関係基礎」を作題しているグループが看板を付け替え、作題方針を変えるだけで問題は出来上がります。あとは、試験時間と試験会場を工面するだけです。地歴や生物などの受験パターンの広がりに応じて、センター試験も次の指導要領のときに変わるでしょう。そのときが「情報」が入るチャンスかもしれません。

「入試に出なくても、ちゃんと学んで欲しい」というのが僕の本音です。でも、あの新聞記事を見ていて、「そりゃないよな…」と思ったのも事実です。出せる力を出さざるを得ないときが来たのかも知れません。

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コメント

はじめまして。

昨年3月まで、普通高校の情報教育に関わっていました。初期は免許がなく「嘱託員」という立場で、その後大学に編入し3年がかりで「情報」を取得しました。

但し、現場の反応は「情報だけでは・・・」と厳しいもので、結局一昨年、新たに大学に編入し「商業」を取得しましたが、常勤講師として勤務する機会を得られず(というより管理職から罵倒される形で反対された)、5年半で教職を去りました。

その後、家電量販店(2ヶ月)、学習塾(5ヶ月)と渡り歩き、現在は派遣社員として、電機メーカーの設計部門で働いています。
元々システムエンジニア(勤続8年)で、民間へは「復帰」と思っています。


さて、「情報」に対する現場の見解は、対外的には「絶対必要」としながら、内部では「進路に関係ないから重要視しない」というものでした。

一方で、短期間の集中講義で免許取得した現職教員たちが情報を担当する際には、「就職に必要な範囲だけでよい」という方針が出され、教科書を度外視した「パソコン実習」と化してしまいました。

これにはさすがに納得いかず意義を申し出たのですが、彼らの言い分は「踏み込んでも生徒の進路には関係ない」というものでした。
また、学習指導要領にも記された「技術的に踏み込まない」という文言が引き合いに出されることもあり、彼ら自身が「教科書レベルの指導が出来ない」ことを露呈していました。

当時勤めた学校は、どちらかというと進学より「就職」がメインで、教育業務の8割9割は「生徒指導」を軸に据えたものでした。
そのため、昨今の「履修漏れ問題」とは多少事情が違うのですが、それでも既存の主要教科を重視する風潮はありました。


彼らに対する唯一の抵抗として、当時勤務校で講座制になっていた「総合的な学習の時間」で、自らの講座にC言語プログラミングを採用し、完全自前の例題演習を作りました。

進路に関係ないかもしれない。
だからこそ、今しか学べないこともある。

プログラミング指導は、私自身が民間で学んだ経験を100%つぎ込むものでした。

今の私は、情報科の教員でもなければ学校関係者でもありません。

しかし、今の仕事に活躍の場を模索する一方で、
「情報の常勤として教壇に上がりたかった」
という思いは、今も心の中で生き続けています。

投稿: はたやん | 2007年1月 5日 (金) 02:42

自分の日記にもごちゃごちゃ書くけど,ハンドルが似てるのでこちらにもコメントします。兼宗先生のブログ
http://blog.nikkeibp.co.jp/pconline/edu/2006/12/kanemune30.html
に,日本が他国から心配されてる様子が書かれています。本人の進路(=大学や就職)には関係ないかも知れないけど,それらが将来の日本を作っていくわけで,今まで通りの価値観にみんなでぬくぬくと浸って沈んでいけばそれでいいってことにはならないだろ?って思いで苛立ってます。

投稿: わたやん | 2007年1月 5日 (金) 23:51

わたやんさん、はじめまして。
たしかに、ハンドルが似ています(笑)。

兼宗先生のブログ、拝読させていただきました。
現場の実態は、お書きになられている通りでした。

また「履修漏れ問題」について、インターネット上では世界史だけではなく「情報」も議論されていることに、救われた気がします。

免許取得のために在籍した大学では、プログラミングやシステム設計、データベース理論が教職課程の必修科目に含まれていました。

言い換えると、プログラミングやシステム設計ができない者、データベースの動作原理が分からない者には「教員免許の権利を与えない」ということで、認定講習でお取りになられた方々とは次元の違うノルマを課せられていました。

当時、嘱託から「実習助手」へと職種を変えた私は、仕事との兼ね合い、そして管理職による否定論(実習助手に免許はいらないとの発言)と戦いながら、大学の規定で2年就業のところ、留年して3年でノルマ達成したときには、久々に泣いたことを覚えています。

現職教諭の方々にとっては、「突然天から降ってきた神のお告げ」かもしれません。
しかし、その裏では多くの人がノルマに挑み、そして涙を呑んで去ったのではないでしょうか。

教諭たちの身分が、多くの犠牲の上で成り立っているということを意識していただきたいと願っています。

投稿: はたやん | 2007年1月 6日 (土) 04:03

私自身も例の15日研修で情報の免許を取った一人ですが,非常にヌルいものでした。とはいえ,それでも人によっては苦労していたわけで,最初のコメントにあったように
>彼ら自身が「教科書レベルの指導が出来ない」ことを露呈
する人がいるのもやむを得ないかなと思います。一方,はたやんさんや大学で情報の免許をとった人のようにきちんとした教育を受けた人をうらやましくも思います(もちろん相応の苦労をしてこられたわけですが)。と言ってばかりもいられないので我流で勉強してますけど。
いわゆる「主要教科」の先生にとっての「外界」の多くの部分は入試が占めているのではないかと思うことがあります。センター試験に取り上げられれば情報科の位置づけは確かに上がるとは思いますが,視野が入試だけに狭まることになるのはもったいないとも思います。
# それ以前に「センター試験に情報(あるいは
# 7教科)は不適切」と言い出すんだろう :-(

投稿: わたやん | 2007年1月 6日 (土) 10:48

コメントをつけるのははじめてですね。

 講師として商業の情報処理を教えて、そのあと情報も教えるようになりました。両方を知っているからこそ、パソコン実習でもなく、検定のための練習でもないものにしたいと思っていました。
 ありがたいことに、講師をしていた高校では、私の経験や主張を認めていただいて、講師だけれども情報科の中心として指導内容を決めることができましたので、総合的な学習の時間と協力してプレゼンテーション発表をするといったこともできました。

 ただ、進学校でもないレベルの高校でこれをするのはかなり大変で、だんだん国語の教員になっているような気もしました。(そういう意味では現職教員の講習の対象者が理系であったのは残念です)
 が、逆にいえば、こういう機会を持つことができるのが大事だとも思いますし、進学クラスの生徒であれば、大学に行っても役立つのではないかと思っています。

 入試科目になるのは、情報が生き残るひとつの方法かもしれませんが、逆にこのような内容の授業ができなくなるような気がしますので、もったいないですね。

 もっとも、今の勤務先ではそんなことも不可能で「パソコン実習」になってしまっているので、かなり不本意なんですが・・・。 

投稿: みどり | 2007年1月 6日 (土) 23:12

はたやんさん、わたやんさん、こんばんは

正月に体調を少し悪くしていたので、お返事のタイミングを逸してました。

情報の教員の立場(?)が、学校内であまりよくないということは、多くの関係者は知っているけど、世間の皆様は御存知ないと思います。世間的には「アイティー」「パソコン」「お金持ち」というイメージから距離は遠くないですが、学校現場ではやはり、伝統や派閥が重要な教科の方が強そうですよね。

認定講習会で免許を受けた先生の中でも、その後自己研讃に励んでおられる先生方の授業を拝見すると、そうでない先生との違いに心を痛めます。というのも、そうでない先生に習っている生徒さんが可哀想だからです。

ただ、はたやんさんのコメントを見ていて少々気になったこともあります。「情報」を授業で学んでもらおうとするなら、もちろんプログラミングも大事だとは思いますが、それだけで済むというものでもないですよね。メディアリテラシーや情報倫理(高校では情報モラルと呼ばれています)も、今後の日本社会を作っていく世代のために欠かせない学習項目だと思います。で、そうなると「情報教育」の時間を増やして欲しい」ということになるのですが、そもそも学校で学ぶ時間は非常に小さい時間的資源のなかでやりくりしなければならないので、どこかに無理があるのでしょう。

と考えて行くと、教育のグランドデザインみたいな大きな枠で議論をしなければいけないのかなーと心配しています。

投稿: たつみ | 2007年1月 7日 (日) 02:26

みどりさん、こんばんは

現在行なわれている高等学校の「情報」の内容ですが、時間が足りないことに対する大きな不満はありますが、2単位教科という枠を考えるなら、情報Bか情報Cなら「しかたないか…」と納得せざるを得ない状況ですよね。情報Aになると、学校知ではなく、商品知を説明する(「授業する」ではない)のが実態で、これは別の意味で悩ましいのですけど。

で、本題に戻れば、「入試科目になることで、副作用もある」という御指摘、まさにその通りだと思います。だからこそ、入試科目にしなくても、ちゃんと学んで欲しいと思うのです。校長会の先生方は、自分の学校の入試実績の方が、生徒達の将来よりも重要なのでしょう…と推定せざるを得ない現状は本当に悩ましいです。

あと、進学校でない学校での扱いですが、「料理の体験をせずに料理を食べるだけの人になって欲しくないなぁ」と思います。それに近い構造(?)が「情報」という教科に当てはまる部分があると思います。情報処理学会で「手順的な自動処理」という言葉をヒネリ出しましたが、3年間合計2,000時間強の授業の中で、手順的な自動処理の体験を6時間は入れて欲しいかなーというのが、個人的な希望です。

高校の授業で、ミシン(ソーイングマシン)のプログラミングなんてできたらいいのに…と思っているのですが、環境がないみたいです。となると、やはり音楽ネタかと。

投稿: たつみ | 2007年1月 7日 (日) 02:36

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受信: 2007年1月 7日 (日) 01:11

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