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2008年4月28日 (月)

「有害情報のフィルタリング」への私論

最近、携帯フィルタリングに始まるコンテンツ規制と、それに反対する活動家の人達のblog記事を追っかけています。僕は、この辺の話題を、既にあちこちの研修や講演などで口頭では触れてきたのですが、自分のblogではちゃんと書いていなかったような気がするので、表明しておきたいと思います。

情報の規制は検閲行為なので、やらない方がいいのはもちろんです。ただ、それを理由に一切のフィルタリングに反対するのもどうかと思います。

「コンテンツ規制がなぜ必要か」ということを解こうとする多くの人は「悲惨な犯罪や心の傷が増えるような状況を早く止めたい」という思いが動機となって動かしているのだろうと思います。(そのような人達の中には「コンテンツ規制を利用して人の心に情報操作をしたい」という裏の意図を持っている人も少数はいるかも知れません。)

一方、「コンテンツ規制を、何故やってはいけないか」を解こうとする人達の多くは、「どのコンテンツが不適切か」を【誰か(おそらく政府)】が勝手に決めて、それを押しつけることによる影響についての心配をしているのだろうと思います。(ただし、そのような人の中にはコンテンツ製作側(「犯罪に関わる情報を取り扱っているので、自分たちを検挙する理由が増えて困る」という活動家の人や、CGI動かして株価を上げて儲けようと思っている人達)の人も(そぉっと)隠れていて、商売をしづらくなることに反対ということもあるでしょう。)

で、「反対側の論理の根拠」の根拠として、僕の目で重要に見えたのは「その人(反対側で主張する人)は、子どもの頃に、そのようなものを見てきたけど平気だった」という認識です。一方、賛成側の人は、その論理をうまく崩せていおらず議論が噛み合ってないように見えます。

僕が見るに、この問題の大きなポイントは「(1)ネットとは無関係なモラルや人権の問題として認知できるか?」「(2)被害者の(被害を受ける前の)気持ちになれるかどうか?(黄金律の欠如)」「(3)危機管理意識で統合的に社会コストを議論できるか?」だと思います。

最近、「情報モラル、情報倫理、情報危機管理」の3つのそれぞれを、発達段階と、発達段階ごとに設計された教育カリキュラムと関連付ける分析をしています。例えば、多くの高校生に野良MP3(DRMなどの著作権保護されてない)が利用されている問題や、「学校いじめサイト」などの問題、携帯電話を利用した出会い系サイトなどの問題などは、法令と技術とが複雑に絡んでいますが、その根底にあるのは「(a)悪いことをしていはいけない」「(b)危ないことをしてはいけない」ということが、子どもたちの心の中に正しく理解されているか?ということです。

そして、「(a)悪いことをしていはいけない」というのはモラルや人権の問題であり、「(b)危ないことをしてはいけない」というのは危機管理の問題です。本来、モラルや人権の問題は小学校の集団生活、特に遊びを通じて獲得され、一方、危機管理の問題は金銭的コストやトレードオフ、利害関係の調整を含めて、職業人に必要とされるものです。それら((a)と(b))を教師が無意識のうちにゴチャマゼに教えてしまうと、「何が悪いことで、何が損なことなのか」をわからない子どもが出来ます。その結果は、善悪観念が希薄な子ども、誤った前提に基づく危機管理にこだわる子どもをつくり出しているような気がします。

小学生に携帯電話を持たせることの是非について、方々でいろいろ議論が行なわれています。(2.4GHz帯域が成長段階にある細胞の分裂に与える影響もありますが、この記事では言及しません。)「犯罪発生件数が増加している現在、外出する子どもの安全を確認したい」(*1)と考える親にとっては、子に携帯電話を持たせることも有効な手段です。しかし、携帯電話は親子の関係のみならず、所持した途端に社会との関係を作り出します。その「社会との関係」を遮断する規制がフィルタリングに他ならないといえるでしょう。

特に低学年〜中学年の小学生が、世界の子どもたちと、あるいは遠くの都道府県に住む子どもたちとインターネットを使って交流し、そこから地球人として育っていくための関心と態度を涵養するという話はとってもきれいですが、それは、子どもが持っている携帯電話を使って行なうことではなく、学校の授業の中で行なえばよいわけです。だから、携帯電話で社会のいろいろな人と交流する必要はない、ということはいえます。

それから、フィルタリング反対論者の多くは、おそらく「器用」と言われて育ってきた人であり、だからこそ「その人が子どもの頃に、そんな(わいせつな/グロい/恐い)ものを見せられても平気」といえるのだろうと思います。しかし、被害者・加害者になってしまった子どもたちは、そもそも意思疎通などで不器用な人、あるいは思い込みが強い人だったのではないでしょうか?被害者が、被害を受ける前に世界をどう見ていたか、何を感じていたかを本人の気持ちになって想像できれば、「コンテンツ規制一切反対」という主張はできないはずです。

おそらく、子ども用の携帯電話は、極端にいえば両親・親戚や学校・警察などにしか通じないようにし、メッセージサービスも匿名ができない仕組みを提供することがいいように感じています。一方、小学校などでは、パソコンを使った遠隔地交流も含めた学習を行なっていけばいいと思います。その過程で情報技術や情報社会を体験することができるでしょう。携帯電話もパソコンも、同じメールの仕組み(smtp)、同じwebの仕組み(http)の上に構築されていますが、学校教育上の利用は全く異なります。異なることを認識しておかないと、この議論は、とんでもないところに結論を見出しそうな気がします。

ところでもうひとつ重要な問題があります。規制反対論者の多くの人が、子どもたちに対する「情報教育の重要性」を訴えています。これはこれでおっしゃる通りなのですが、一方で、誰が教えるのか?何を、どのように教えるのかということにまで具体的で効果的に見える提案はされていません。小学生に携帯電話を「けいたいでんわ」とし、著作権法を「ちょさくけんほう」とすれば解決するような問題ではありません。今まで、日本国憲法よりも詳細な法令が小学校や中学校で取り上げられてこなかったのは、法曹関係者が文部科学省に働きかけていなかったからではありません。小学生・中学生は、法の存在意義や、具体的な法令を学ぶ適切な発達段階に達していないからです。さきほど述べたように「僕は小学生の頃にそれをわかっていた」という反論は、ここでは機能しません。国内あまねくすべての生徒に義務教育として理解できて、達成感を味わえる内容として法を取り扱うことは困難であると思います。

また、教育の問題がなかなか簡単に解決しない構造的な原因の一つとして、問題を解決する・効果を上げるために必要な時間が長過ぎるということがあります。例えば、今(2008年)から「小学校の情報教育を充実させて……」という活動を始めようとするなら、まずは教員養成・現職教員への研修を誰がやるかという話から始めることになります。それができて始めて教員養成・現職教員への研修が可能となります。そして研修を受けた教員が教壇に立って授業をして、その授業を学んだ児童・生徒が大人になって…とやるとすぐに10〜20年もの時間がかかります。

その間に子どもたちを取り巻く情報スキル(今だとパソコンや携帯電話の使用方法)や、情報危機管理の具体的な内容は変化してしまい、役に立たなくなります。だからといって、「今の社会に直結した情報スキル」でもなく、「利害関係の調整などを必要とする情報危機管理」でもない、例えば情報科学や情報社会学のように応用が可能な基礎的な(抽象的な、あるいは学問的な)内容を、日本中の小学校で全児童に定着させることは困難(たぶん無理)です。

「教育を充実させよ」という提言(例えば MIAU の提言)は、それはそれでうれしいんですが、一方で、「そんな簡単に充実することは不可能」ということもわかって欲しいです。3分で食べられるカップ麺が100円で売られていたときに、「300円出すから1分で食べられるようにして欲しい」とお願いするようなものです。そんなの無理。

「じゃあ、辰己はどうすればいいと思っているのか?」といわれても、回答困難です。理想的にはこうすべきというのはありますが、明日からそういうことにすることは不可能です。指導者育成が間に合わない。しかも、それを事態は待ってくれない。とりあえずは、小学生程度が利用する携帯電話のフィルタリングは、現状を維持していくのが正解なのでしょうね。


ところで、今話題の法案についてもすこし触れます。18歳未満とか、政府が決めた唯一の委員会で基準作成というのはよろしくないなぁと思います。まず、ある程度は透明性があって、しかも定期的に委員が入れ替わる30名くらいの大きな委員会があって、そこがフィルタ製造者を認定するって話にして欲しいかな。フィルタ製造者は複数、できれば100や200くらい設立されていて、それぞれのフィルタには個性(?)があってよい。そして、自宅に一定年齢未満の児童がいる家庭は、認定を受けたフィルタ製造者のどこかかと契約(事実上は携帯電話会社やプロバイダーのサービスに「お勧めのフィルタ」として組み込まれる。)し、契約IDなどを通信事業者に通知する。フィルタ使用料金は携帯電話会社やプロバイダ経由で利用者に請求される。また、こういうことをしなかったときの罰則は携帯電話事業者やプロバイダに科す。

イメージとしては、クレジットカード発行会社と、利用者と、利用される企業の関係に似ています。クレジットカード発行会社=フィルタ製造者、クレジットカード番号=契約ID、利用者=家庭、利用される企業=通信事業者です。

そうなると、各家庭(多くの場合は通信事業者のオススメにしたがって)は、苦情が少なくて、安くて、対応が早いフィルタ製造者を選ぶでしょう。そういう競争原理を入れておかないと、使いやすいフィルタを追求する行動も起こらないでしょうし、フィルタリング技術自体の洗練もされないと思います。また、子どもは未来のお客さんですから、例えばフィルタ使用料金が毎月10円/1回線だったとすれば(それでも12億円/年の大市場)、その程度の金額は通信事業者が負担できます。

一方、コンテンツ提供側は、robots.txt や E-mailのSPFに似ていますが、コンテンツの対象年齢と内容についての「タグ」をつけることでフィルタを回避する(ホワイトニング)権利を持てるようにする。つまり、通信事業者とフィルタ製造者に、そのような抜け穴を用意することを義務づける。もちろん、ページの内容とタグが一致していないコンテンツ提供者にはその限りでなく、フィルタ製造者に信用されなくなり、抜け穴を閉じられ普通のフィルタを通ることになる(それでも通り抜けることは可能)だけの話。また、内容的に「まったくまずくない」のなら、こういう工夫をしなくてもフィルタを普通に通る(そして、ブラックなら落される)ようにしておく。今の電子メールが、だいたいそんな感じですよね。ホワイトリストは素通し、ブラックリストは遮断、それ以外はフィルタで判定です。

そして、あとはこういう仕組みにできたとして、その特性を利用者全体が共有するための社会教育(生涯教育)による啓発活動も重要ですね。

まだ、自分でもよく練られた提案だとは思いませんが、一応考えてみました。でも、誰もまともに取り上げてくれないだろうな。


(*1) 2008年5月3日、カギ括弧を追記し、言い回し修正。

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コメント

 こちらに投稿するのは久しぶりかも。情報教育プロパーからの意見を伺うことができてうれしく思い、投稿します。とりあえず教育と政策提言との両方にかかわっている立場からコメントを。
 まず、今回の流れは学校への失望(あるいは現場の教育への一方的な要求とセットになった不満)が政治家に力を与えているという構図があるので、法案に反対している人が考えている「教育」は学校教育のことではありえません。PTAとかを含めた「教育」であり、意識の高い親の権利を主張することでもある。
http://www.excite.co.jp/News/it/20080423202500/Itmedia_news_20080424010.html
PTAは地域パトロールばかりしているわけではなかったw。
 では情報教育は無力だと国民から判定されたのかというと、そうも言えないと思っています。いまアクティブな20代(特に附属校で教育を受けた院生とか)は議論を重視する情報倫理教育(辰己先生の「情報化社会と情報倫理」でも触れられている)に触れていて、その小学校版をイメージしている人もいます。
 これは余談ですが、新しい情報倫理教育を受けた世代はよい議論ができていると思います。もっと上の世代になると「本当に犯罪発生件数が増加しているのか?ソースを示せ!」といった揚げ足で炎上する(-_-)。

投稿: やまね | 2008年5月 1日 (木) 12:22

>やまねさん

コメント、歓迎します。

僕は自分自身を情報教育プロパーとは思えませんが、まあ、それはおいといて、「PTAとかを含めた「教育」」というのは、僕が最後の方で触れた社会教育っていうカテゴリに入りまして、その重要さは、もちろんわかっています。

今回の問題で、反対論者も賛成論者もPTAの方も警察の方もあまり語られてないように思えるのは、「意識が高くない人」も含めて、全体としてどうするかという視点での議論でした。繰返し?になるかも知れませんが、「自分は、子どものころにそういうことを疑問に思っていた」とか、「意識が高い親は対応できるからいい」ということではなく、社会全体として何とかする方法が必要だと思います。

「意識が低い人、教育を受けてない人は交通事故にあってもいい」という問題ではないですよね。

で、その観点でみると、教育活動の時間的特徴(5年、10年すぐにかかってしまう)と、コンピュータをはじめとする情報スキルの発展・変化があまりにも違い過ぎるので、追い付けないことをどうするべきなのか?ということです。新しい教育を受けた世代が増えてくるまでの間、古い教育しか受けてない世代は放置されてもいいんですかね?それに、保護者全員、教師全員に対する教育の重要性ももっと注目されるべきだと思います。

ちなみに、僕自身も「ITのおかげで犯罪件数が増えた」とは思ってないです。凶悪になったとも思ってないです。(僕の記事にはそういうことは述べられてないですよね?)

投稿: たつみ | 2008年5月 1日 (木) 12:44

乱暴なまとめを失礼しました。多くの読者は、教科書の執筆者や放送大学の先生として辰己先生を認知しているのではないかと考えて書きました。
 なぜ危機管理を必要とする弱者の視点がないのか? これは難しい問いですが、私が想起するのは、AAASの報告書"Science For All Americans"に出てくる「教育システムの変革を全米で大々的に行うには10年以上の歳月を要する」という記述です。
http://sfaainjapanese.seesaa.net/article/88907371.html
これは現状への居直りではなく、2061年までのタイムスパンで全米の科学教育を建てなおそうという話です。この執筆者は自分の子供が成人したあとの未来の子供に残す環境を考えているのだと理解しています。現代日本での全体の幸福の最大化を追求するだけじゃなく、環境を子孫に残すことも考えようという点で、これは情報倫理というよりも環境倫理的ですね。
 教育への期待を口にする人も、現状の教育体制では無理だというのは承知の上で、あえて本質論を語っているのだと解釈しています。声明ではなく突っ込んだ議論になれば「いまの子供を有害情報から遠ざければ生きる力が身につくとは考えていない」「硫化水素の製造方法を隠しても子供は安全にならない」とか、あるいは(私もお目にかかったことはないけど)「いまは10年計画のうち5年目です。iTunesとWindows Vistaのペアレンタルコントロール機能が普及するのが第一段階でしょう」といった議論も出るのではないかと期待しています。

 そして全体を考える上で鍵になるのが、情報倫理教育を受けた子供達が親や社会に対してどのように関わっていくのかというところだと思っています。そこで自ら調べ考える情報倫理教育を学んだ世代への期待を書きました。

 最後のところは余計でした。本論にはまったく関係ない「犯罪発生件数が増加している現在」という枕の部分で炎上するなよ!という未来の読者への(苦笑)予防線です。

 本論の提案部分についてですが、送られてきたものはなるべくうけとるという考えのモデルとして、メールサーバは使えますね。(インターネット通信の歩みの歴史の勉強にも使えるかもしれない。)政策の役割がセルフラベリングをする権利を促進するというものになるのも納得。

投稿: やまね | 2008年5月 2日 (金) 04:06

あ、「犯罪件数が増加している現在」と言うのは、ちゃんと括弧で括っておけばよかったですね。

They said 「犯罪件数が増加している」です。

投稿: たつみ | 2008年5月 2日 (金) 08:46

> やまねさん

> 乱暴なまとめを失礼しました。

いえいえ。編集ミスまで指摘してくださって、感謝しています。

> 多くの読者は、教科書の執筆者や放送大学の先生として辰己先
> 生を認知しているのではないかと考えて書きました。

うーん、そうなんですかね?

このblogを見に来てくれる方は、そう考えてくださってるかも知れませんが、世間的には無名人ですので…。

> なぜ危機管理を必要とする弱者の視点がないのか? これは難し
> い問いですが、

そもそも危機管理ということ自体が、聞き覚えはあるけど、それが一体何か(従来の「対策」と、危機管理はどう違うかとか…)を把握できるような形で教えられていないんだろうと思います。

> 私が想起するのは、AAASの報告書"Science For AllAmericans"
> に出てくる「教育システムの変革を全米で大々的に行うには10
> 年以上の歳月を要する」という記述です。
> http://sfaainjapanese.seesaa.net/article/88907371.html
> これは現状への居直りではなく、2061年までのタイムスパンで
> 全米の科学教育を建てなおそうという話です。

日本学術会議には、科学技術リテラシーというプロジェクトがありまして、まさに SCI for All Ams の日本版をやろうとしています。ここでは2030年の20歳の成人のために、理想を築くための中身作成をしています。実は、僕も末席で報告書の和訳を頂きました。で、今回のことも、同じようにロードマップを作り、いまから社会合意形成・社会教育を含めて提案しないといけないと思います。

> 「いまの子供を有害情報から遠ざければ生きる力が身につくとは
> 考えていない」

否定的な「遠ざける」に「考えていない」という否定語がくっついてわかりにくいのですが、裏に該当する「有害情報に晒せば生きる力が身に付く」ということでもないですよね。(有害情報自体の定義をどうするか次第ですが。)

> 「硫化水素の製造方法を隠しても子供は安全にならない」

こういうことを議論すること自体が、ある意味ナンセンスです。安全か、安全でないかということよりも、いのち、生と死の意味を理解できるように何ができるか?、できることがあればそれに取り組もうということの方が重要だと思います。

ただ、宗教的な議論にはあまり入りたくないですね。

> 「いまは10年計画のうち5年目です。iTunes と Windows Vista
> のペアレンタルコントロール機能が普及するのが第一段階でしょ
> う」といった議論も出るのではないかと期待しています。

人間社会は機械じゃないのだからいきなり変わらないです。特に、習慣や教育が必要な行為は、普及に時間がかかります。だから、第一段階、第二段階というロードマップ的議論をするのは賛成です。

> そこで自ら調べ考える情報倫理教育を学んだ世代への期待を書き
> ました。

でも、いまの大学生でこれができる人は、ほんの一部だと思います。

> 本論にはまったく関係ない「犯罪発生件数が増加している現在」
> という枕の部分で炎上するなよ!という未来の読者への(苦笑)
> 予防線です。

2007年の1月に

 「高校生の学力不振を解決するには」という記事
http://ttmtko.air-nifty.com/a/2007/01/post_f136.html

を書きました。その記事からリンクを張ったのが、

昭和33年の少年犯罪
http://kangaeru.s59.xrea.com/33.htm#1958.2.5

というページです。僕がreferした記事の前後の記事、さらにこのページのすべての記事を読むと、2008年は昔と比べて凶悪犯が増えているとか、犯罪件数が増えているとか、そういうことをオイソレといえるものではなく、ちゃんと統計などを追いかけないとだめだなぁと思いました。また、件数は客観的に比較できますが、凶悪さはそうではないので、これも比較が難しいです。

で、こういう知識が1年前にあったので、いわゆる「犯罪件数が増加している現在」というように述べたかったのですが、編集ミスというか、鈎括弧の付け忘れということで誤解を与える表現になってしまいました。ごめんなさい。

> 本論の提案部分についてですが、送られてきたものはなるべく
> うけとるという考えのモデルとして、メールサーバは使えます
> ね。(インターネット通信の歩みの歴史の勉強にも使えるかも
> しれない。)政策の役割がセルフラベリングをする権利を促進
> するというものになるのも納得。

まあ、わかりやすくぶっちゃけてしまえば、辰己提案は「EMAみたいなのを、100社くらいつくって、市場原理で競争しようぜ」ってことです。政府は、こういう競争をする環境(市場)を、しっかりと守ればいいんです。それで、フィルター提供者の資格を得るためには、上の委員会で、例えば4分の1程度の委員数の賛成でもらえるようにしておかないと、意図的な検閲を拒否する提供者から資格を剥奪しちゃうんじゃないかな?って。

cf: http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080430/300427/

投稿: たつみ | 2008年5月 3日 (土) 00:19

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