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2008年7月31日 (木)

教科「情報」をよくする二つのキーワード?

blogを書いている暇もないほど忙しいのですが、気になったことを簡単にメモします。

今日は、某所で開催されたいくつかの高等学校の「情報科」の先生と、某大学の情報科学・情報工学系の教員の集まりにお客さん的に参加しました。そこでいろいろな話を聞いたり、議論したりしたのですが、「(1) 『情報』が役に立ち過ぎる教科・科目であり、よくない」ということが、本当に深刻な問題になっているのだなということが、僕の中に強い印象として残りました。

あと、すでに何度も紹介している言葉ですが、「(2)大の大人の情報リテラシー」という言葉も、やはり重要だと思います。

たぶん、いまの高等学校の教科「情報」をよくするために必要なキーワードは、この二つ、つまり(1)(2)に集約されてしまうのではないかと思ったりもしています。

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コメント

「役に立ちすぎる」が「よくない」につながる理由がいまいちよくわかりません。

投稿: わたやん | 2008年7月31日 (木) 23:35

手短に書くと「役に立ち過ぎるから、ほとんどの利用者は、その仕組みを知ろうとせず、学習の対象にならない。」ということです。

たとえば料理の作り方とか楽器の弾き方のように「ほどほどに役に立つ」のなら、みなさん、ちゃんと勉強してくれるでしょう。

もちろん、インスタント商品しか食べない人は料理の仕組みを知ろうともしないでしょうし、カラオケでしか歌わない人がカラオケの仕組みを知ろうとはしないと思います。でも、インスタント食品ばかり食べていると体調が悪くなるので、実際にはそればっかり食べて健康に過ごせる人は多くない。一方、カラオケばかりで生演奏で歌ったことしかないという場合でも、それが本人の進路や将来の職業や命に関わったりすることはないので、カラオケばっかりでもいいんです。

コンピュータ・ネットワークなどの仕組み、つまり「教科『情報』の背景」を知らないで使い続けると、体調が悪くなるインスタント食品とおなじようになるほどコトは深刻であり、生演奏に対するカラオケのようなお気楽さはないと思います。

言い替えると、知らずに使うとリスクが大きすぎるのに、役に立ち過ぎるので、人々は仕組みを知ろうとしないということです。

投稿: たつみ | 2008年7月31日 (木) 23:46

なるほど・・・。深い・・・・。

投稿: 麦茶 | 2008年8月 1日 (金) 11:53

なるほど,仕組みがわからなくても使えてしまう度合いが高すぎる…というか,仕組みをわかっていないことが自覚できない人が多いことを,私も悩ましく思います。実際目の前の機器で操作ができて成果が得られてしまうならば,仕組みを知るために労力を費やそうと思わないのも,気持ちとしては分かります。
ということで,正確には「役に立ちすぎる情報手段のために役に立つはずの教科『情報』を役に立てられていなくて,よくない」ということになるのかな,と思いました。

お客様ばっかり増やすのは良くないです。最近のDNS cache poisoningの話で,ある人が「もう,ぼくみたいな人が片手間にやることじゃなくなったのかな」と言ったら,tss氏から「いや,『ぼくみたいな人』が頑張るのが『インターネット』ってもんだよ」と返信がありました。むしろ,SIerのお客様でいようとする(or してきた)ことが問題なのだと。

投稿: わたやん | 2008年8月 2日 (土) 11:25

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