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2008年12月14日 (日)

八百長事件と地域通貨

大相撲の八百長疑惑問題は、いろいろあってひと段落したという感じですが、この八百長問題を見ていて個人的にいろいろなことが気になりました。特に気になったのが「八百長の定義」です。おそらく、「金銭とひきかえに勝負に負けてあげること」が八百長の定義だろうという気がしますが、では、これが金銭でなく、別の何かと引換だった場合でも八百長というのだろうか?ということについては誰もはっきりと答えてくれてないと思います。

例えば、どこかの国のあるスポーツ団体には、その団体の中でのみ通用するポイント制度があったとします。そして、そのポイントは紙にかかれて紙幣のように流通できるとします。例えば、ある年配の選手がいて、観客動員の都合上、どうしても勝ちたいのに、急に風邪を引いたり捻挫をしたりして、どうしても勝つことができなさそうなとき、その人は自分が若い頃に得たポイントを使い、大事な試合に勝つことができるとします。逆に、そのときの負けた人はポイントを得ます。さて、このとき「このポイントは金銭とは絶対に交換できない」という条件があった場合、それでもこの試合を八百長とよべるのでしょうか?多くの人の間隔は「実力ではないのだから八百長」というでしょう。そうなるともはや「金銭とひきかえに」という最初の定義は崩れることになります。

では、このポイントが紙幣として流通せず、選手の心の中にのみ存在していた場合、それでもこれは八百長でしょうか?つまり、例えばAという監督(相撲なら親方)が、自分が引退するちょっと前の有名選手だった頃、諸事情で若手のBに勝たせてもらった。それから数年後、Bはどうしても勝たないといけない。それなら、Aは自分のチームの選手(相撲なら、部屋の若手力士)に「おい、Bに負けてやれ」ということをいうことは八百長でしょうか?ということです。こういうことを突き詰めていくと、「情けは人のためならず(巡り巡って自分のため)」という言い伝えは、八百長を増長する言い伝えであって、よろしくないということになるでしょう。でも、実際には「情けは人のためならず」という言い伝えはとっても重要で、こういう言い伝えを無意識のうちに覚えている人達の行動が社会を潤滑に動かすのではないでしょうか?

そして、こういう交換不可能な「情け」の世界を外国人選手(相撲なら外国人力士)に開放してしまったために、八百長疑惑だの、八百長疑惑でっちあげ問題だの、面倒なことが起こっているような気がするのです。そんなことを考えていたら、もっと地域通貨のことを勉強したくなってきました(しないけど)。地域通貨は閉じた社会では循環性を良くする機能をもっていますが、一方で開放性に弱い仕組みです。一方、インターネットの世界、とりわけ2ちゃんねるのような開放系掲示板と、SNSのように閉じた世界、そして、大手SNSのように本人は閉じていると思い込んでいる開けた世界などがあます。八百長疑惑のことを考えていたら、なぜか地域通貨の話題になってしまいました。不思議だ。

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