2006年12月25日 (月)

「政府機関の情報セキュリティ対策のための統一基準」を読んで…

内閣情報セキュリティセンターのページを見ると、 政府機関の情報セキュリティ対策のための統一基準というページああります。 ここに、

というのがあります。これは、政府内部での情報セキュリティを確保するための さまざまな基準などを記したものです。

国立大学法人は、もはや国立ではないのですが、 この基準に相当する情報セキュリティを確保することが求められています。

ところが…、この基準はあくまでも省庁などを想定して作られたものです。 学問の自由があり、教員がいて、学生がいて、出入り自由な大学に当てはめようとすると、 いろいろと変換表(?)を作る必要があります。

学生って、構成員なの?客なの?とか、悩ましいです。

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2006年12月24日 (日)

「塾禁止」という主張も、座長が言うなら聞き流せない

朝日新聞2006年12月23日配信の記事によれば、野依良治氏が、自ら座長をつとめる政府の教育再生会議で、「塾禁止」を主張しているとのこと。

記事内容で引用されている議事要旨には、

「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。
とありました。

これは、大変おかしな話だと思います。「例え」で比較するのは良くないことだとは思いますが、

  • 参考書・学術書はできない子が読むためには必要だが、普通以上の子供は参考書・学術書禁止にすべきだ。検定教科書で十分だ。
  • スポーツクラブは運動ができない子には必要だが、普通以上の子供はスポーツクラブ禁止にすべきだ。学校の体育の授業で十分だ。
  • 音楽教室は音痴や演奏下手な子は必要だが、普通以上の子供は音楽教室禁止にすべきだ。学校の音楽の授業で十分だ。
という主張に近いともいえます。明らかにおかしいですよ。

もし、

  • 参考書なんか買わなくても検定教科書で十分といえるように、充実した検定教科書を作ろう。
  • スポーツクラブに行かなくても十分といえるように、学校の体育の授業を充実させよう。
  • 音楽教室に行かなくても優秀な音楽家になれるように、学校の音楽の授業を改善しよう。
という提案なら理解しますが、公教育に関わらない側を、法的拘束力で禁止にしようという考え方は、学問の自由にも反するし、規制緩和にも反します。

「外部の意見を聞くことが大事だ」ということは僕も理解しますが、ノーベル化学賞を取った人が塾制度について述べても素人の意見でしかないと思います。しかし、これは教育再生会議という政府の会議の座長の意見ですから、これが議事録に残って、さらに報告書に記載されれば、そこから立法に回り、やがて法的拘束力を持つのです。これが、誰が見ても政治的に偏っている人や、特定の宗教を盲信している人のアンバランスな意見なら、「無視すればいいじゃん…」で聞き流すことができますが、「塾禁止」という主張も、座長が言うなら聞き流せないのです。

権威を利用して専門家より強い立場で発言してねじ伏せる権威者よりも、権威を利用して専門家に自分の意見を聞いてもらって納得してもらう権威者の方が尊敬されるに決まってます。(専門家も、権威のない人の意見をマトモに聞こうとしてくれないです。これは専門家の問題点です。)

「塾禁止」なんていうよりも、高所得者の税率を上げ、その分を義務教育に使い、貧しくて給食費も払えず、文房具も買えない子ども達への教育を支援する(ちゃんとパソコンも買ってね。ディジタルデバイド解消も必要です。)ことの方がよっぽど重要だと思います。


ところで…、僕は以前、神戸大学発達科学部の教員をしていました。発達科学部は、主に教育学部を改組して出来た学部なので、神戸大学教育学部に関する話題はすぐに耳に入りました。野依良治氏がノーベル化学賞を受賞したとき、氏の母校が神戸大学教育学部附属住吉小学校であることを聞きました。その後、氏は灘中学、灘高校を卒業して、京都大学理学部に入学しています。進学実績では塾みたいな小学校、中学校、高校を卒業されたわけです。


【追記】僕の意見の中心は「政府の会議の座長の発言は法律に影響を与えるので、もっと考えてモノを言って欲しい」「法的拘束力で、教育や学習を制限すべきでない」ということです。誤解されそうなので、慌てて追記。


【追記2】

非常によく書かれているblogを見つけましたので、 リンクを張ります。

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2006年12月23日 (土)

大学の「情報リテラシー」という名前の授業は未履修問題のために生き残るか?

多くの大学で、1年生に向けて「情報リテラシー」あるいはそれに該当する授業科目を設けています。授業科目でなく、単なるオリエンテーション講習の場合もありますが、いずれにしても、大学1年生が4月から何を学ぶかについて、その大学のコンピュータ教室をつかった授業・講習が実施されています。

昨日のプ会で、久野禎子先生が話題にして下さったのが、「早稲田MNC、慶応経済、東工大工学部3類で非常勤講師として情報リテラシーやプログラミングを担当しているパート主婦(たしかに「パート主婦」であることに間違いはないが…)からみた、ニッポンの情報教育」でした。

3つの組織の情報教育に対する姿勢の違い、体制の違い、シラバス、指定教科書、学生層の違いなどが、実体験で語られました。

僕も早稲田MNCと東大駒場で情報リテラシーの非常勤講師をしているので、「なるほどー」と思うところがたくさんありました。

ところで、大学でプレゼンテーションを教えるかどうか…ということなんですが、難しいですよね。あと1年4カ月後の2008年4月入学生くらいになれば、浪人・社会人学生の数もものすごく少なくなるので、多くの学生は高等学校で「情報」を履修して来たと仮定できます。そうなると、プレゼンテーションの技法なんて教えなくてもいいように思います。

しかし、やっぱり気になるのは未履修問題。高校で「情報」未履修状態(書類上履修になっていても、未履修の生徒と何も変わらない)のまま大学に来るという高校生は、2008年4月入学生でも多数発生する見込みです。特に、新潟県教育委員会の命令下にある学校に多いと思います。そんな生徒のために、大学でプレゼンテーションなんて教えなければならないのでしょうか?勘弁して欲しいです。

新潟県教育委員会の皆様、大学にプレゼンテーションの授業をする講師を無償で派遣して下さい。私たち大学教員に、尻拭いをさせないでください。

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2006年12月22日 (金)

プログラミング・情報教育研究会を開催しました!

2006年12月22日、プログラミング・情報教育研究会(通称『プ会』)の第1回活動の日でした。一橋大学で開催されました。

最初に、早稲田、慶応、東工大の3つの大学で非常勤講師をされている久野禎子さんが、3つの大学の「情報リテラシー」の授業比較をお話して下さいました。次に、農工大並木研学生の松崎さんから「携帯電話で動く Scheme処理系」の話がありました。その後、参加者全員で食事をしながら懇親を深めました。

懇親会ではいろいろなことが話題になりましたが、例えば「純正律」なども話題になりました。プログレッシブロックやクラシックで使っているよーって話ですね。あとは、日経BPソフトプレスの「最新情報リテラシー」を持って行って回覧して頂きました。

人数は少なかったですが、最初からこれくらいの人数のつもりでしたので、濃い話になってよかったです。


次回は2007年1月31日、場所は東京農工大学です。高校の先生方の御参加(発表)も期待しています! 御興味のある方は、会の宣伝ページを御覧下さい。

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2006年12月21日 (木)

科学技術情報リテラシーと、情報消費者倫理、聴衆倫理、視聴者倫理、読者倫理

最近、ひょんなことから「科学技術リテラシー」という言葉を聞くことがありました。 これって何?ということで早速Webで検索してみたところ、こんなページを見つけました。

ここに大変いいことが書いてありました。 要約すると「科学リテラシー」を語るには、次の3つが重要とのことです。

  1. 生活のための最低限の知識の素養
  2. 責任ある市民として関与するための知識と素養
  3. 専門職として身につけておくべき科学の知識と素養

で、これについては、日本学術会議で、 北原先生が研究を推進されています。

JSTでも、 村上陽一郎先生が、研究テーマにされています。

で、自分の研究ネタに引っ張ってくると、「科学技術情報リテラシー」というのも、 上記と同じ考え方に立脚して組み立てていくべきなんでしょうね。つまり、

  1. 私たちの生活と情報の関連を知ること
  2. 情報を利用する責任を市民として認識すること
  3. 情報に関する職業につく人のための科学的素養
なんだろうと。

特に「情報を利用する責任」というのは、あまり研究されていない話題です。 僕は1998年ころから「消費者倫理としての情報倫理」 ということをいってるのですが、 なかなかこの話題を深めることができませんでした。 でも、そろそろこの研究をちゃんとやる時期が来たなーって思いました。 情報消費者倫理、聴衆倫理、視聴者倫理、読者倫理です。

さて、どんな研究をすべきでしょうか? これからゆっくり考えてみたいと思います。

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2006年12月20日 (水)

(掲載されました)高校でなぜ未履修が起きるのか

日経パソコンPConlineで、一橋大学の兼宗先生が書かれているblog企画の取材を受けました。

放送大学の僕の番組では兼宗先生を取材していますが、 ちょうどその逆になります。この内容は、取材を受けた内容のうち、冒頭部分です。 しばらく連載(?)が続きますので、是非とも御覧下さい。

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2006年12月17日 (日)

小学校における「情報の科学的な理解」

情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議の「第1次報告」である「体系的な情報教育の実施に向けて」(平成9年10月3日) という文書があります。これは、現在行なわれている「情報教育」の内容を規定する非常に重要な文書で、例えば情報科教育法の授業では、この文書を全部読むことは必須ともいえます。で、この文書にかかれている「情報の科学的な理解」について、改めてここで引用してみましょう。

第2章 1 情報教育の目標

(2) 情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と,情報を適切に扱ったり,自らの情報活用を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解(以下,「情報の科学的な理解」と略称する。)

とあります。ここで述べられていることを、改めて文字から読み直せば、ここは情報科学ではなく、情報工学でもありません。何行か後にはこのように書かれています。

【前略】

情報に関わる学問(情報学)の成果を適切に教育内容や教育方法に取り入れ,情報活用の経験と情報学の基礎的理論と手法とを結びつけさせることで,「情報活用の実践力」の深化,定着を図ること

【中略】

なお,ここでいう情報学は,従来のコンピュータや情報通信などの分野を中心とした情報科学に,人間科学や人文社会学等への学際的な広がりを持った学問である。

【中略】

コンピュータ等の情報機器の普及や情報通信ネットワークの急速な広まりに対応して,その基本的仕組みを理解し,適切な活用方法を知ることは,生涯学習社会における自己教育力を身につけることにつながるだけでなく,国際理解教育や環境教育などで世界的規模での交流が必要となる場合には,学習手段を格段に拡げることになる。

【後略】

したがって、情報科学+人文科学+人文社会学等+「情報機器や情報通信ネットワークの基本的な仕組み」が情報学として定義されていて、さらによく読むと

  • 「情報の科学的な理解」とは「情報学を学ぶこと」
ではなく、
  • 「情報学の成果を取り入れて『情報活用の実践力』の深化、定着を図る」のが「情報の科学的な理解」である
ということになります。

さて、この「体系的な……」を読み進めていくと、後半にはこのようなことが書いてあります。

第3章 次期学習指導要領の改訂に向けた提言

1 各学校段階における情報教育の実施に関する基本的な考え方

【中略】

(次期学習指導要領を検討する上での前提条件)

【中略】

「情報の科学的な理解」及び「情報社会に参画する態度」については,情報教育に特化した教科・科目,領域等で行いつつ,その一部については,既存の教科等で行うことなどを前提として,以下の提言をまとめた。

(小学校段階)

【情報の科学的な理解に関する記述なし】

(中学校段階) 中学校では,技術・家庭科の「情報基礎」を必修扱いとした上で,「情報の科学的な理解」及び「情報社会に参画する態度」を扱う

【中略】

(高等学校段階) 高等学校では,普通教育に関する教科として教科「情報(仮称)」を設置し,その中に科目を複数設定する(いずれも2単位程度)。内容としては,「情報の科学的な理解」及び「情報社会に参画する態度」に関する事項で構成する基礎的な科目を設けることとする。

ということは、「情報の科学的な理解」は小学校で扱う必要がないということになります。この辺、もう少し調べていくと、「情報化の進展に対応した教育環境の実現に向けて」という文書が、情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進などに関する調査研究協力者会議から1998/08に答申されています。そこにこんなことが書いてありました。

(「情報の科学的な理解」の扱いと学習の範囲)

「情報活用の実践力」を単なる体験のレベルから,真の実践力,知恵のレベルに高めていくために,「情報の科学的な理解」が必要である。小学校段階では,教員側が「情報の科学的な理解」に基づいて,適切な体験ができるように授業や学習活動を設計することが重要である。

つまり、小学生に「情報の科学的な理解」をさせる必要はない。しかし、小学校の教員は自らが「情報の科学的な理解」を達成できている必要があると読める。

なんだか難しいことになってしまいましたが、要するに「小学生に情報機器や情報通信ネットワークの基本的な仕組みを教えることは、現行指導要領には含まれていない」ということです。

とりあえず、現行指導要領は現行の授業を規定している文書ですから、(研究指定校などを除けば)これに従って授業をしないと、コンプライアンス云々ということになってしまうんです。


で、ここからは私見を書きます。

「小学生に情報機器の基本的な仕組みを教える必要はない」という指導要領は、やっぱりどこかおかしいです。だからといって、あまりにも具体的に詳細な技術の仕組みを教える必要もないと思ったりします。線引きは難しいですが、USB1.1 と USB2.0 と IEEE1394 の比較とか、DVDとCD-ROMの記録方式の違いとかは、明らかに逸脱しているように思います。じゃぁ、どこなら取り扱っていいか?といわれると、現行指導要領の壁が見えます。(研究指定校を除いて)小学校では指導要領逸脱は不可能で、ということは、情報機器の特性などは小学生に教えることができないんですよね。将来、この部分を変えようと思っていても、あるいは、変える予定がわかっていても、なし崩し的に扱うことはできないんですよね。

どうすりゃいいんでしょうかね?

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2006年12月16日 (土)

これだけでわかる最新情報リテラシー(?)

2006年12月13日(水)の投稿でお知らせした「情報の用語集」ですが、「これだけでわかる最新情報リテラシー」という書名で僕の手元にも届きました。

届いた本を見て、「あれ?」と思うところも数箇所ありました。自明といえば自明ですが、自明なミスプリ(仮名漢字変換ミス数箇所と、矢印の向きが逆になっているところ2箇所)を発見しました。気がついたところの一覧を、近日中にどこかに置いて、置き場所をお知らせします。

校正の最後の段階をちゃんと詰めておくべきだったと反省。


【追記2006.12.30】とりあえず、このblogに 専用の記事を作りました。

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2006年12月15日 (金)

横浜清陵総合高校見学

昨日(2006年12月14日)横浜清陵総合高校を訪問しました。僕はあいにく次の予定(授業)があったので、見学の途中で中座をしたのですが、DTPの授業というのは、予想よりも新鮮でした。

●一般的な操作方法なんて存在しない

表現の工夫に努力するためには、最低でも1つのDTPソフトを使う必要があります。一般的な操作方法ではなく、そのソフトの操作方法を身に付ける必要があります。でも、その授業は、そのソフトの使い方を覚えるのではなく、表現の工夫に費やす時間でした。

もちろん、そのソフトを使いこなせるまでの時間が、今日までの何回もの授業で行なわれてきたことは承知していますが、それを通り越して初めて一般的なソフトの使用方法を身に付けることができるのだ、ということを改めて実感した時間でした。

現在の地球では、右はアクセル、左はクラッチ、真ん中はブレーキという位置を覚えないと、うまく車を走らせることができない(オートマの運転云々は別の話として…)わけです。自動車の機能を一般的に考えれば、アクセルが左、ブレーキが右、真ん中がクラッチでも何も問題はないはずですが、それにこだわることはできないんですよね…。

●3つ折りパンフレットの構造

A4判ヨコを縦に3つ折にして配布するパンフレットを制作する実習の成果を見せてもらいました。作った経験を持っている人しかわからない話ですが、あれは実はかなり大変です。

いま、デザインする6つの面を内側を左からA,B,C、外側を左からZ,Y,Xと呼ぶことにしましょう。なお、AとXが表裏の関係とします。

ABCを上に向けて何かを表現しても、実際には、BとCの間でCを持ち上げて谷折にしてしまうので、AとZが上に向くことになります。そして、AとZの間をAを持ち上げて谷折にすると、Xが上に向いて、これが表紙になります。裏表紙がYです。

この状態で積み上げてパンフレットとして手にとってもらえるようにします。

まず客はXを見て、興味を持ったら中を開きます。ということはXは、興味を持ってもらえるような内容になってないとまずいわけです。

興味を持った客が中を開くとAとZが現れます。ここで情報がある程度具体的に増えてないとパンフレットはここで終りです。

客がさらに開いてA,B,Cを見てくれたら、ほとんどの内容を見せることができます。このとき、BとCだけで美しく見せるのではなく、A-B-Cで美しいようになっている必要があります。この条件を満たしながら、AとZのみが見えているときでも不具合がないようにデザインしておきます。

ほとんどの客は、A-B-C を見たところで折り目に添って元の形を復元して、最後にひっくり返してYを見ます。

ということで、この X, A-Z, A-B-C, X, Y という情報提示の順番と形を美しく、しかもストーリーをもって見せるためには、元の情報を十分に整理しておく必要があります。これは明らかに「情報デザイン」が必要な作業です。(情報デザインというのは、情報提示の順番や見せ方の工夫のことです。「美術的なデザイン」と直接の関係はありません。)

………てなことをちゃんと体験的に勉強したであろう作品が、教室に並んでいました。

つかれたのでこの辺で。

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2006年12月14日 (木)

Winnyに見る情報危機管理

昨日(2006年12月13日)、Winnyの作者を被告とした裁判の判決があった。判決の内容、それに対する被告のコメント、事件の背景などについては、他人のblog、報道などにまかせることにしたい。

Winnyに関する問題(話題)は大きく2つあったと思う。一つは著作権侵害幇助の問題、もう一つはP2Pシステムによる個人情報漏洩の問題である。しかし、Winnyが一般の人に向けて話題になったのは、もっぱら後者のP2Pシステムに関する個人情報漏洩問題であった。具体的には、P2Pに参加しているパソコンがウイルスに感染することで、P2P網に流すつもりがなかったファイルまでもがP2P網に流出していった。特に個人情報漏洩に関しては報道も熱心であった。各企業や団体などの個人情報や機密情報が大量に漏洩したのは、Winnyのもつファイル到達性の良さ故の出来事であったといってもよい。

このようなことが報道されたおかげで、多くの人にWinnyという名前と個人情報漏洩を結びつけるようになった。ところが、報道はわかり易さを優先するあまり、Winnyがどのような仕組みで動いているのか、同じような仕組みで動いているソフトにはどのようなものがあるのか、個人情報漏洩以外にどのような被害(例えば著作物の大規模複製)があったのかなどの報道が軽視されてきた。

昔、P2P的なシステムには、UUCPによるメール配送、NNTPによるネットニュース配送があった。現在も、インターネットを使った電話アプリケーションである SkyPe が P2P を利用している。これらのアプリケーションが提供するサービスは、インターネットを広く利用することが目的であって、その一つの実現手法としてP2Pが用いられてきたのである。Winnyについても同じであって、決して Winny そのものが違法ということはない。

一方、あまりにもよく切れる小型ナイフを作って、外科医や食肉業者以外の人に販売すれば、それが犯罪に使われることは当然に想像できることであって、そのような高性能な製品を一般に販売するべきではないという倫理的な要請も理解はできる。

被告は、裁判の後の記者会見で「判決内容は技術の発展を阻害する」として抗議をし、控訴の意志を明らかにしたが、改めて考えてみると、よく切れるナイフも、すぐに致死量に達する毒薬も、時速400kmで走ることができる自動車も、それ自体が開発を禁止されているということはなく、自由に開発を行なうことができる。(化学兵器やヒトゲノムなどの一部の例外を除いて)プロフェッショナルが利用するものを開発することを差し止める法律は存在しない。P2Pも、それを利用するプロフェッショナルのために開発・利用されるという枠を設けるのならば、技術開発を差し止める必要はないはずである。

Winnyは、プロフェッショナルが利用する技術を、利用マナーを十分に備えていない一般人に提供したという点が、技術利用という観点での最大の問題(=トラブルの元)だったのだろう。だから、十分に訓練を受けない利用者がWinnyを利用することで、著作権侵害を幇助したり、企業の機密情報を流出させてしまったりしたのである。(SHNSKさんのコメントにあるように、判決では「この状態を放置したことが、『幇助』に該当するとしている。)

ただ、こういう意見を書くと間もなく、あたかも自分が世界で初めて発明したかのような顔をして「Winny免許制」ということを提案する人が出てくるだろう。先週の「ネット社会の、これから」でも、一般の人ということで会場にいた人が「ネットワーク免許制」について提案していたが、それはもう、10年も20年も前から検討されては実現できないということで現実にならなかった。Winny免許制もまた同じ。

これらの議論を、僕が普段から言い触らしている「情報危機管理論」の「5側面」でとらえ直すと、話の様子が見えてくるかも知れない。すなわち、危機の側面を、1. 技術、2. 予算(コスト)、3. 制度、4. 教育、5. 法(規則)の5つに分類して対策を考えるという手法である。例えば、Winnyには独特の匿名化手法を採用しているので、Winnyの使用を禁止したい人にとっては、1. 技術的な対応は(事実上)不可能。現在行なわれている裁判などの立法による対応は、学校や職場などの 5. 法(ルール)による対応である。残りのうち 3. 制度に該当するのが先ほど述べた「免許制」であり、2. 予算に該当するのが、著作物や個人情報などを違法に流したものに対する損害賠償請求とあなる。4. 教育に該当するのは、今回は報道であり、これが社会教育の機能を(偏りつつも)果たした。

てなことで、危機管理入門みたいな話になりましたが、裁判は高裁に行くそうですので、その結果を気にしていきたいと思います。確定判決になってないことについては、あまりうだうだ言いたくないですし。


【追記】畏友である白田秀彰氏による解説が ITmedia に掲載されているのを発見した。 アンカーを作っておきます。

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